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ゲーム四方山話

プレミアソフトを買うことを批判する人たちに対する違和感

いにしえのセガBBSの頃から「プレミアがついているから」とか「パケ絵が可愛いから」とかでゲームを買う人を批判する人がいるのだが、それに対してずっと違和感をもっていた。自分自身はそういう選定理由でゲームを買うことはないので第三者の立場から。

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ゲーム四方山話

ゲームの私的複製とエミュレーターについて

エミュレーターという「ソフトウェア(※)」と、違法ROMを使用した違法エミュレーションという「行為」とを混同している人が多いというのは以前からWeb見てて思っていた。両方とも「エミュ」って略されるのが元凶なのかもと思っている。
※ ハードウェアのこともある

BIOSのパクリやGPLなどのOSSライセンスの違反をしてなければエミュレーター自体に違法性はないし、法律で認められた範囲での私的複製も正当な権利だけど、「マジコン」という言葉に過剰反応する人がいるのはレトロフリークの発売前後のWebでのやりとりを見ると理解できると思う。これは以前から予想していたことでもあり、当時は魔女狩りに巻き込まれたくないので静観していた。そして、レトロフリークが発売されて今月末で1年になるのだが、そういう思い込みからくる不毛なやり取りは、少なくとも自分の周りでは見かけなくなった。「エミュレーター」と「違法エミュレーション」の区別、および私的複製に対する正しい認識がある程度は広まったと推測している。

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ゲーム四方山話

ゲームを卒業という概念の変化

自分はいわゆる”ファミコン世代”の人間だが、かつては『結婚したらゲームは卒業』とか『30になったらゲームは卒業』とか、そんな感じのことを言う人が多かった。1997年にセガBBSに参加した頃にも、ちらほらそういう意見を見かけた。アニメや特撮・戦隊ものと同様にゲームを子供向けの娯楽と捉えている人が少なからずいたということだろう。

そしてファミコン世代やそれ以前からのゲーマーで未だにゲーム好きである人たちは、その『大人になったらゲームは卒業』という同調圧力に負けなかったのだと思う。でも、そういう人たちの多くが今ではゲームをあまり遊ばなくなっているのを感じる。これはWebで見る限りではなく、同年代の知人と話していても感じることである。

これはゲームが嫌いになったとかではなく、あくまでゲーム好きでゲームに関することに対して時間やお金を使っているにも関わらず、以下のような”ゲームの周辺要素”の方に趣味の軸足が移っているように見える人が多いということである。

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プレイ動画 ゲーム四方山話

プレイ動画についての個人的な見解

遊ぶ優先順位」の中でも書いたが、レトロゲームを実機で全力で思い切り遊べる時間はそんなに残されていないと思っている。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界では天然食材や本物のペットは超高級品になっているけど、現代の我々はそれらに日常的に接している(ペットは人によるが)。いま普通に遊んでいる実機もそういう存在なんだと思う。多くの人は失う寸前までいかないと本物の価値に気付かない。

自分が実機が動くうちになるたけ動画を残したいと思っているのもその絡みである。ニコニコ動画やYouTubeにはエミュレーターでの動画が多いし、実機であることを明記してある動画は少ないのもある。ゲームタイトルで検索して、エミュレータ、特にTASしか動画がないようだと自分の場合はがっかりする。

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ゲーム四方山話

ごく簡単なコレクション管理

ゲームコレクターの人が、『持っていたのにまた買ってしまった』とか『どれだけ持ってるのか本人もわからない』とか書いているのをWeb上でよく見るのだが、以前からなぜスプレッドシートなりで管理しないのかが個人的には不思議だった。今ならクラウド上にもデータを置けるから出先からの照会も容易だし、手間なのは最初だけだからだ。

「不思議だった」と過去形で書いたのは、けっきょく「たかがゲームのためにそんな手間かけたくない」というのも立派な考え方で、利便性は分かっていてもやらないだけなんだということがわかったから。遊びなんだからてきとーでいいんじゃないかと。

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ゲーム四方山話

「シューティングは下手だからゲーセンでは見てるだけ」って発言を見る度に思うこと

Webを見ていると「シューティングは下手だからゲーセンでは見てるだけ」的な発言をしている人をたまに見かけるのだが、1人で遊ぶオフラインのゲームでそんなもん気にしてどうするのって思うんだよなぁ。誰だって最初は下手なんだし(※)。

※ 極一部の超人は例外

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ゲーム雑感(アーケード) ゲーム四方山話

レトロゲームが楽しいのは懐古の思いでしかないのか

定期的にWeb上で論議されるが、レトロゲームを楽しむ行動原理は「懐古の思い」でしかないのかというのがある。自分自身は1990年代前半の時点で、それに対して「No」を唱えていた。1980年代半ばのいわゆるナムコ黄金期のアーケードゲームや、テトリスなどには普遍的な面白さがあり、懐古の思いなど微塵もなく、いつまでも楽しめる名作としか思っていなかったからである。それを言うと、「retrospective」には「回顧」「懐古」の意味があるので、自分的には「classic」(名作)という言葉を使いたいというのはある。「retrogamefan.tokyo」ドメインじゃなくて、「classicgamefan.tokyo」にしておけばよかった……。

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ゲーム四方山話

アミューズメント産業のプロとしての意識

将棋棋士の渡辺竜王・棋王は著書の中で『将棋もプロ野球のように、知識のないファンでも無責任に色々発言して楽しんで欲しい』という趣旨の発言をしていて、将棋ファンの間では非常にプロ意識の高い発言と評価されている。

これはよくプロ野球ファンが自分では出来ないことをさも知った風に発言することに対して否定的に捉えるのではなく、将棋もそのくらい気楽にゆるく楽しんで欲しいと肯定的に捉えているわけで、広義の意味での娯楽産業に関わる人の考え方として素晴らしいと思っている。しかもこれは渡辺竜王が23歳の頃の発言である。私はこの発言を後年知ったのだが、若い時からなんて大人な考え方をしていたのだろうと感じ入った(※)。

※ 「将棋の渡辺くん」を読むと将棋以外は凄く子供っぽいところを残していて、そのギャップがまた面白い

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ゲーム四方山話

テーブル筐体かミディタイプ筐体か

1990年代初頭はゲームセンターの筐体がテーブル筐体から、エアロシティ、アストロシティなどのミディタイプ筐体(※)に主流が移っていった。そして当時の自分はシューティングゲームを遊ぶ際、対応に苦しんだ。

※ ミディタイプ筐体のことをアップライト筐体と言う人もいるが、正確には別物。海外で主流であった、立って遊ぶための筐体がアップライト

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ゲーム雑感・思い出話 ゲーム雑感(家ゲー(セガハード)) ゲーム雑感(家ゲー(非セガハード)) ゲーム四方山話

積み上がったゲーム

長くゲームを続けている人にありがちだけど、自分も大量のゲームを積んでいる。かじっただけで後回しにしたまま20年以上経っているようなものから、完全未プレイのものまである。自分はゲームコレクターではない(つもりな)ので、遊ぶつもりで買っているし、いつかはクリアするつもりで残しているが、なかなか減らないのが現状。