1980年代アーケードゲーム復刻のタイムリミット (長文)

自分は4年ちょっと前に「80年代アーケードゲームの復刻が”ほぼ完全”といえるレベルで出来るリミットはあと10年だと思う。当時のゲーム制作技術に精通した技術者の確保、基板の寿命、資料の消失、正確性を担保できる人間、あと需要もろもろを考えるとそんな長くない」って友人と話していたりする。つまり、ゲーマーにとって魅力ある商品としてのライフサイクルは限界が近づいていると予測していたということである。

“1980年代アーケードゲーム復刻のタイムリミット (長文)” の続きを読む

レトロゲームブーム いきすぎたプレミアムの終りに

前編である「プレミアソフトを買うことを批判する人たちに対する違和感」の続きを”ファンタシースター 千年紀の終りに”風のタイトルで。end of the millenniumとend of the premiumをかけているとかどうでもいいと思うので本題に入る。

前編ではプレミアソフトを買う人に対して否定的なことを言うことに対する違和感について書いた。ゲーマーが遊びたいという気持ちで売買した結果としての高額取引自体に何か問題があるとは思えないのだが、インターネットの普及とオークションサイトやフリマアプリ経由での個人取引が増えた結果として、せどりが広範囲にしやすくなったことがさらなるプレミア化を推し進め、その結果ゆがみが生じたようだ。

プレミアソフトは特に注目されるため、ゲームを遊びたい人だけでなく”せどらー”にも頻繁に売買され、過度のプレミアがつくこととなる。ここまではまだ経済原則にのっているので、個人的な感情を置いとけば特に問題とは思わないのだが、過度にプレミアムがついた結果、プレミアソフトの海賊版がオークションやフリマアプリに出品されるようになってしまったのである。

“レトロゲームブーム いきすぎたプレミアムの終りに” の続きを読む

プレミアソフトを買うことを批判する人たちに対する違和感

いにしえのセガBBSの頃から「プレミアがついているから」とか「パケ絵が可愛いから」とかでゲームを買う人を批判する人がいるのだが、それに対してずっと違和感をもっていた。自分自身はそういう選定理由でゲームを買うことはないので第三者の立場から。

“プレミアソフトを買うことを批判する人たちに対する違和感” の続きを読む

ゲームの私的複製とエミュレーターについて

エミュレーターという「ソフトウェア(※)」と、違法ROMを使用した違法エミュレーションという「行為」とを混同している人が多いというのは以前からWeb見てて思っていた。両方とも「エミュ」って略されるのが元凶なのかもと思っている。
※ ハードウェアのこともある

BIOSのパクリやGPLなどのOSSライセンスの違反をしてなければエミュレーター自体に違法性はないし、法律で認められた範囲での私的複製も正当な権利だけど、「マジコン」という言葉に過剰反応する人がいるのはレトロフリークの発売前後のWebでのやりとりを見ると理解できると思う。これは以前から予想していたことでもあり、当時は魔女狩りに巻き込まれたくないので静観していた。そして、レトロフリークが発売されて今月末で1年になるのだが、そういう思い込みからくる不毛なやり取りは、少なくとも自分の周りでは見かけなくなった。「エミュレーター」と「違法エミュレーション」の区別、および私的複製に対する正しい認識がある程度は広まったと推測している。

“ゲームの私的複製とエミュレーターについて” の続きを読む

ゲームを卒業という概念の変化

自分はいわゆる「ファミコン世代」の人間だが、かつては「結婚したらゲームは卒業」とか「30になったらゲームは卒業」とか、そんな感じのことを言う人が多かった。1997年にセガBBSに参加した頃にも、ちらほらそういう意見を見かけた。アニメや特撮・戦隊ものと同様にゲームを子供向けの娯楽と捉えている人が少なからずいたということだろう。

そしてファミコン世代やそれ以前からのゲーマーで未だにゲーム好きである人たちは、その「大人になったらゲームは卒業」という同調圧力に負けなかったのだと思う。でも、そういう人たちの多くが今ではゲームをあまり遊ばなくなっているのを感じる。これはWebで見る限りではなく、同年代の知人と話していても感じることである。

これはゲームが嫌いになったとかではなく、あくまでゲーム好きでゲームに関することに対して時間やお金を使っているにも関わらず、以下のような「ゲームの周辺要素」の方に趣味の軸足が移っているように見える人が多いということである。

“ゲームを卒業という概念の変化” の続きを読む

プレイ動画についての個人的な見解

遊ぶ優先順位」の中でも書いたが、レトロゲームを実機で全力で思い切り遊べる時間はそんなに残されていないと思っている。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界では天然食材や本物のペットは超高級品になっているけど、現代の我々はそれらに日常的に接している(ペットは人によるが)。いま普通に遊んでいる実機もそういう存在なんだと思う。多くの人は失う寸前までいかないと本物の価値に気付かない。

自分が実機が動くうちになるたけ動画を残したいと思っているのもその絡みである。ニコニコ動画やYouTubeにはエミュレーターでの動画が多いし、実機であることを明記してある動画は少ないのもある。ゲームタイトルで検索して、エミュレータ、特にTASしか動画がないようだと自分の場合はがっかりする。

“プレイ動画についての個人的な見解” の続きを読む

ごく簡単なコレクション管理

ゲームコレクターの人が、『持っていたのにまた買ってしまった』とか『どれだけ持ってるのか本人もわからない』とか書いているのをWeb上でよく見るのだが、以前からなぜスプレッドシートなりで管理しないのかが個人的には不思議だった。今ならクラウド上にもデータを置けるから出先からの照会も容易だし、手間なのは最初だけだからだ。

「不思議だった」と過去形で書いたのは、けっきょく「たかがゲームのためにそんな手間かけたくない」というのも立派な考え方で、利便性は分かっていてもやらないだけなんだということがわかったから。遊びなんだからてきとーでいいんじゃないかと。

“ごく簡単なコレクション管理” の続きを読む

「シューティングは下手だからゲーセンでは見てるだけ」って発言を見る度に思うこと

Webを見ていると「シューティングは下手だからゲーセンでは見てるだけ」的な発言をしている人をたまに見かけるのだが、1人で遊ぶオフラインのゲームでそんなもん気にしてどうするのって思うんだよなぁ。誰だって最初は下手なんだし(※)。

※ 極一部の超人は例外

“「シューティングは下手だからゲーセンでは見てるだけ」って発言を見る度に思うこと” の続きを読む

レトロゲームが楽しいのは懐古の思いでしかないのか

定期的にWeb上で論議されるが、レトロゲームを楽しむ行動原理は「懐古の思い」でしかないのかというのがある。自分自身は1990年代前半の時点で、それに対して「No」を唱えていた。1980年代半ばのいわゆるナムコ黄金期のアーケードゲームや、テトリスなどには普遍的な面白さがあり、懐古の思いなど微塵もなく、いつまでも楽しめる名作としか思っていなかったからである。それを言うと、「retrospective」には「回顧」「懐古」の意味があるので、自分的には「classic」(名作)という言葉を使いたいというのはある。「mdnomad.com」ドメインじゃなくて、「classicgamefan.tokyo」にしておけばよかった……。

“レトロゲームが楽しいのは懐古の思いでしかないのか” の続きを読む

アミューズメント産業のプロとしての意識

将棋棋士の渡辺竜王・棋王は著書の中で『将棋もプロ野球のように、知識のないファンでも無責任に色々発言して楽しんで欲しい』という趣旨の発言をしていて、将棋ファンの間では非常にプロ意識の高い発言と評価されている。

これはよくプロ野球ファンが自分では出来ないことをさも知った風に発言することに対して否定的に捉えるのではなく、将棋もそのくらい気楽にゆるく楽しんで欲しいと肯定的に捉えているわけで、広義の意味での娯楽産業に関わる人の考え方として素晴らしいと思っている。しかもこれは渡辺竜王が23歳の頃の発言である。私はこの発言を後年知ったのだが、若い時からなんて大人な考え方をしていたのだろうと感じ入った(※)。

※ 「将棋の渡辺くん」を読むと将棋以外は凄く子供っぽいところを残していて、そのギャップがまた面白い

“アミューズメント産業のプロとしての意識” の続きを読む