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ゲーム四方山話

クラシックゲーミングとレトロゲーミングの違い

これについて、2016年に “レトロゲームが楽しいのは懐古の思いでしかないのか” という記事を書いているのだが、当時と認識が変わっている部分もあるので記録しておく。

まず、”レトロゲーム”ではなく”レトロゲーミング”と述べている理由を書く。”レトロゲーム”という言葉は多くの場合、個々のゲームの属性を示すのだが、何をもって”レトロ(=懐古)”とするかは個人の感じ方によるものでしかなく、ゲームそのものが持つものではないので、そこにはっきりとした齟齬がある。だが、”レトロゲーミング”という行動様式を示す言葉ではその問題はなく、以下のような文章ではこちらを使う方が適切に思える。

例えば小学6年生が小1のときに遊んだっきりだったプレイステーション4のゲームを懐かしんで遊ぶのは、彼の人生のほぼ半分を遡るだけの間隔があり、懐古の想いがあるのだから間違いなく”レトロゲーミング”なのだが、それを”小学生にとってはプレステ4もレトロゲーム”と書くと、話の焦点がどこにあるかも本質も理解できずに横道の話しかできないおじさんたちが大量に発生しがちな問題があるのだ。あとは以降の本題で。

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「誰が作ったか」の実績は自分に合ったゲームを見つけるための最大の近道なのか

以下の文書は2018年10月に書いた文書とセットなのだが、草稿フォルダに埋もれたまま2年半経って見直してみると、状況が予想していたより早く進んでいて面白いと思ったのでこのタイミングで放出しておく。


将棋と比較しての自分なりのビデオゲームの楽しみ方の本筋」で『「誰が作ったか」の実績は今までは自分に合ったゲームを見つけるための最大の近道だった』と書いたが、過去形にしているのは崩れつつあると思っているからだ。

まず、メーカーやらクリエイターやらの実績を重視しすぎると、それに囚われて新たなゲームに出会う機会を失いがちだという弱点がある。なので将来的には自分が遊んだゲームの評価と選定ジャンルの傾向をビッグデータとマッチングしてもらうのが、自分に合うゲームを見つける最大の近道になると予測している。そして、その時、誰が作ったかというのはエンドユーザにとっては今より薄い情報になるのではないかとも思っている。

もっとも、自分が”現役”である間にそこまでは進まないとも思っているので、さらなる未来の話ってことで。


と、ここまでが2018年10月に書いた内容である。そして、2021年6月の時点では、Steamのストアはかなりレベルが高いところまで進んでいて、好きなジャンルのゲームについては使えるところまでいってるとさえ思うようになった。ただ、たとえばふだんSTGばかり遊んでいる人にこそ刺さる別ジャンルのゲームとか、そういうところまではまだ進んでいないので完成形とまでは言えないだろう。今後のさらなる進歩に期待したいものである。たとえそれがメインの選び方になるところまでいかなかったとしても、1本でもお勧めで自分に刺さるソフトに出会えたなら、十分に価値があったと言えるだろうし、ここまできたら使いようの問題だとも思う。全部が全部同じ基準で選ぶ必要などないのだ

なお、PlayStation Storeの方はSteamと比べると2021年時点では数段落ちる状態なので、そのイメージでこの文章を読んでも的外れにしか見えないかもしれないが、それも仕方ないだろう。

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’80年代ゲーセンは不良のたまり場だったのか

Twitter見ていると定期的に流れてくる「80年代のゲーセンは不良のたまり場でカツアゲが横行していた」というアレだけど、この手の印象は、けっきょくその人が過ごした環境に大きく依存するのだと思っている。

このトピックについて当時の環境を考えると、以下の3つに分けられる。

1.すべてのゲーセンが不良のたまり場ではなかった地域
2.不良のたまり場とそうでないゲーセンが混在していた地域
3.すべてのゲーセンが不良のたまり場だった地域

自分の場合いきつけにしていたのは地域で一番の進学校(※1)近くのゲーセンと地域で一番のショッピングモール(※2)内のゲームコーナーであって、両方とも不良のたまり場ではなかったし、自分だけではなく他の人に対してもカツアゲは見たことがなかった。つまり、上記1番な環境で育ったわけだが、当時大人からはさんざんゲーセンは不良のたまり場だと言われていたし、Webやら別の地域で育ったゲーム仲間からそう伝え聞くことも多かったから、余所ではそういうところもあったのだというは理解している。
※1 その進学校に不良はほとんどいなかった
※2 当時そういう呼び方はしていなかったが

だが、上記3番の環境で育った人たちは、当時は日本全国どこでもゲーセンは不良のたまり場だったという文脈で語りがちだし、例外があったと言ってもそれを否定することしかできない人が多くてアレだなと。その人が否定しようがしまいがゲーセンが不良のたまり場ではなかった地域があった事実は変わらないし、人間の想像力はそんなに高くないことも知っているので仕方ないとも思うのだが、この手の文脈がTLに流れてくる度にアレな思いをしてなくもなかったりするアレ。

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将棋と比較しての自分なりのビデオゲームの楽しみ方の本筋

自分はビデオゲームの他に長年本将棋も趣味としていたりする。そして将棋には実際に将棋を指す以外にも以下のようなうんちくがあったりする。

・本将棋の成り立ち(チャトランガから大将棋、中将棋などへの変移など)
・家元制度、大橋家、伊藤家などについての歴史
・日本将棋連盟の歴史
・駒の素材(最上級は柘植(つげ))
・駒の彫り方の違い(盛り上げ、彫り埋め、彫り、書き)
・駒の書体の違い(錦旗、巻菱湖、水無瀬など)
・駒の木地の違い(虎斑、孔雀杢など)
・形式張った駒の並べ方(大橋流、伊藤流)
・盤の素材(最上級は榧(かや))
・盤の線の引き方(高級品は太刀盛り)
・盤の足の形はクチナシの花(口無しに通じて周りが口を出すなという通説)
・盤裏の音受けの通称「血溜まり」について
・その他プロ棋戦の歴史やプロ棋士のエピソード類

ずらずら書いたが、ちょっと将棋に興味があれば、この見出し程度のことならざっくり知っている人が多いと思う。だが、これらに対してより詳しくなっても将棋は上手くならないし、将棋を指すこと自体が面白くなるわけでもない。あくまで周辺要素に詳しくなり、知的好奇心を満たすだけである。指すモチベーションが多少は上がる人もいるかもしれないが。

だから自分の場合、上記項目について、深く詳しくなろうとは思わなく、ほどほどを心がけている。いきつくところまでいって、柘植や榧の種類や生態に詳しくなったところで将棋の本質とは関係なく思えるからだ。これらに深くのめり込む時間があるなら、序盤や寄せの手筋の勉強や、詰め将棋、COMとのトレーニングなど、指し将棋に役立つことに時間を割り当てる方が有意義に感じる。

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1980年代アーケードゲーム復刻のタイムリミット (長文)

自分は4年ちょっと前に「80年代アーケードゲームの復刻が”ほぼ完全”といえるレベルで出来るリミットはあと10年だと思う。当時のゲーム制作技術に精通した技術者の確保、基板の寿命、資料の消失、正確性を担保できる人間、あと需要もろもろを考えるとそんな長くない」って友人と話していたりする。つまり、ゲーマーにとって魅力ある商品としてのライフサイクルは限界が近づいていると予測していたということである。

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レトロゲームブーム いきすぎたプレミアムの終りに

前編である「プレミアソフトを買うことを批判する人たちに対する違和感」の続きを”ファンタシースター 千年紀の終りに”風のタイトルで。end of the millenniumとend of the premiumをかけているとかどうでもいいと思うので本題に入る。

前編ではプレミアソフトを買う人に対して否定的なことを言うことに対する違和感について書いた。ゲーマーが遊びたいという気持ちで売買した結果としての高額取引自体に何か問題があるとは思えないのだが、インターネットの普及とオークションサイトやフリマアプリ経由での個人取引が増えた結果として、せどりが広範囲にしやすくなったことがさらなるプレミア化を推し進め、その結果ゆがみが生じたようだ。

プレミアソフトは特に注目されるため、ゲームを遊びたい人だけでなく”せどらー”にも頻繁に売買され、過度のプレミアがつくこととなる。ここまではまだ経済原則にのっているので、個人的な感情を置いとけば特に問題とは思わないのだが、過度にプレミアムがついた結果、プレミアソフトの海賊版がオークションやフリマアプリに出品されるようになってしまったのである。

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プレミアソフトを買うことを批判する人たちに対する違和感

いにしえのセガBBSの頃から「プレミアがついているから」とか「パケ絵が可愛いから」とかでゲームを買う人を批判する人がいるのだが、それに対してずっと違和感をもっていた。自分自身はそういう選定理由でゲームを買うことはないので第三者の立場から。

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ゲームの私的複製とエミュレーターについて

エミュレーターという「ソフトウェア(※)」と、違法ROMを使用した違法エミュレーションという「行為」とを混同している人が多いというのは以前からWeb見てて思っていた。両方とも「エミュ」って略されるのが元凶なのかもと思っている。
※ ハードウェアのこともある

BIOSのパクリやGPLなどのOSSライセンスの違反をしてなければエミュレーター自体に違法性はないし、法律で認められた範囲での私的複製も正当な権利だけど、「マジコン」という言葉に過剰反応する人がいるのはレトロフリークの発売前後のWebでのやりとりを見ると理解できると思う。これは以前から予想していたことでもあり、当時は魔女狩りに巻き込まれたくないので静観していた。そして、レトロフリークが発売されて今月末で1年になるのだが、そういう思い込みからくる不毛なやり取りは、少なくとも自分の周りでは見かけなくなった。「エミュレーター」と「違法エミュレーション」の区別、および私的複製に対する正しい認識がある程度は広まったと推測している。

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ゲームを卒業という概念の変化

自分はいわゆる”ファミコン世代”の人間だが、かつては『結婚したらゲームは卒業』とか『30になったらゲームは卒業』とか、そんな感じのことを言う人が多かった。1997年にセガBBSに参加した頃にも、ちらほらそういう意見を見かけた。アニメや特撮・戦隊ものと同様にゲームを子供向けの娯楽と捉えている人が少なからずいたということだろう。

そしてファミコン世代やそれ以前からのゲーマーで未だにゲーム好きである人たちは、その『大人になったらゲームは卒業』という同調圧力に負けなかったのだと思う。でも、そういう人たちの多くが今ではゲームをあまり遊ばなくなっているのを感じる。これはWebで見る限りではなく、同年代の知人と話していても感じることである。

これはゲームが嫌いになったとかではなく、あくまでゲーム好きでゲームに関することに対して時間やお金を使っているにも関わらず、以下のような”ゲームの周辺要素”の方に趣味の軸足が移っているように見える人が多いということである。

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プレイ動画 ゲーム四方山話

プレイ動画についての個人的な見解

遊ぶ優先順位」の中でも書いたが、レトロゲームを実機で全力で思い切り遊べる時間はそんなに残されていないと思っている。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界では天然食材や本物のペットは超高級品になっているけど、現代の我々はそれらに日常的に接している(ペットは人によるが)。いま普通に遊んでいる実機もそういう存在なんだと思う。多くの人は失う寸前までいかないと本物の価値に気付かない。

自分が実機が動くうちになるたけ動画を残したいと思っているのもその絡みである。ニコニコ動画やYouTubeにはエミュレーターでの動画が多いし、実機であることを明記してある動画は少ないのもある。ゲームタイトルで検索して、エミュレータ、特にTASしか動画がないようだと自分の場合はがっかりする。