定期的にWeb上で論議されるが、レトロゲームを楽しむ行動原理は「懐古の思い」でしかないのかというのがある。自分自身は1990年代前半の時点で、それに対して「No」を唱えていた。1980年代半ばのいわゆるナムコ黄金期のアーケードゲームや、テトリスなどには普遍的な面白さがあり、懐古の思いなど微塵もなく、いつまでも楽しめる名作としか思っていなかったからである。それを言うと、「retrospective」には「回顧」「懐古」の意味があるので、自分的には「classic」(名作)という言葉を使いたいというのはある。「retrogamefan.tokyo」ドメインじゃなくて、「classicgamefan.tokyo」にしておけばよかった……。
ただこれも、家庭用ゲーム機の流行っているゲームを中心に遊んで、どんどん新しくなくなったゲームを売ってきた人たちには「そうは言ってもしょせんは懐古だろ」と理解できない傾向があるようである。こういう人たちとはゲームに対する捉え方が大きく違っていると自分は理解しているので、お互い棲み分けた方がいいと思っている。
自分の場合、ネットワークゲームにのめり込んだ期間の最後の3年間を除き、ずっと1980年代、1990年代のゲームを純粋に楽しんできたのもあって、今でも懐古感はない。ファンタジーゾーンにはファンタジーゾーンにしかない面白さがあるし、ドルアーガの塔にはドルアーガの塔にしかない面白さがあり、新しいゲームで置き換えられるものではないのである。ただ、タイトルによっては昔のように楽しめなくなったものがあるのもまた事実である。自分なりにどういうものがそう感じやすいのかをある程度分析したこともあるのだが、今回そこには触れないこととする。
個人的に思うのは、家庭用だと32bit機以降になるとゲーム自体の規模が大きくなり、大人数により作られた優れた工業製品としての色合いが強くなったのに対し(※)、それまでのゲームは少人数により作られたが故に個人のアイデアが前面に出たゲームが多かったという違いがある。これはどちらが優れているかではなく、テイストの違いだから、自分としてはどちらも楽しめた方が得だとしか思っていない。なぜかこの手の話になると、「レトロゲームの方がシンプルで面白い」とか「新しいゲームの方が面白いに決まってる」とか対立構造になるのだが、別に片方だけにこだわる必要もないだろう。
※ もちろん、全部が全部そうだとは言わない
まぁ結局、しょせんはゲームなんだから、自分の好きなものを遊べばいいってだけの話である。そして、自分と異なる嗜好に対してDISるより、多様性を認めた方がお互い幸せだと思うってことで締めさせてもらう。