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ゲーム四方山話

クラシックゲーミングとレトロゲーミングの違い

これについて、2016年に “レトロゲームが楽しいのは懐古の思いでしかないのか” という記事を書いているのだが、当時と認識が変わっている部分もあるので記録しておく。

まず、”レトロゲーム”ではなく”レトロゲーミング”と述べている理由を書く。”レトロゲーム”という言葉は多くの場合、個々のゲームの属性を示すのだが、何をもって”レトロ(=懐古)”とするかは個人の感じ方によるものでしかなく、ゲームそのものが持つものではないので、そこにはっきりとした齟齬がある。だが、”レトロゲーミング”という行動様式を示す言葉ではその問題はなく、以下のような文章ではこちらを使う方が適切に思える。

例えば小学6年生が小1のときに遊んだっきりだったプレイステーション4のゲームを懐かしんで遊ぶのは、彼の人生のほぼ半分を遡るだけの間隔があり、懐古の想いがあるのだから間違いなく”レトロゲーミング”なのだが、それを”小学生にとってはプレステ4もレトロゲーム”と書くと、話の焦点がどこにあるかも本質も理解できずに横道の話しかできないおじさんたちが大量に発生しがちな問題があるのだ。あとは以降の本題で。

(ここから本題)

自分の場合、古い新しいに囚われずに(自分にとっての)名作を遊び続けるのを”クラシックゲーミング”と表して”レトロゲーミング”という言葉と使い分けている。”レトロゲーミング”はその人にとって対象があるていど古いことが第一義にくるものであり似て非なる行動様式だからだ。

クラシックゲーミングとレトロゲーミングで自分が一番違うと思うところは、クラシックゲーミングはゲームプレイの継続性が重要視されるところにある。多くのアーケードゲーマーがストイックに何年、何十年も同じゲームを遊び、極めていくのには懐古の念とか一切なく、まさにクラシックゲーミングであろう。そこに、1980年代のゲームも21世紀に入ってからのゲームも違いはなく、いっしょくたに “クラシックゲーミング” という表現でラフに使えるのもよい。”どこからがレトロゲームか?” などという不毛な閾値議論も必要ないのだ。

また、クラシックゲーミングではゲームというコンテンツを直接楽しむのがメインであるのに対し、レトロゲーミングではコンテクストや周辺要素の方がゲームプレイそのものよりもむしろ重視されることが多い違いもある。

たとえば、レトロゲーミングではソフトがレアだどうだとか、相場が高い安いだとか、製作に誰が関わっていてなんというゲームがもとになっているだとか、なんという技術が使われているだとか、そういう周辺要素の話がメインになりがちだ。ゲームのプレイも懐かしむのがメインでやり込む方向に進むことはあまりなく、それがレトロゲーミング的であるとすら思う。

ゲームの楽しみ方はひとそれぞれで、他の人に迷惑をかけない限り善悪も優劣もないと思っているし、想い出を語ったりレトロゲーミング的な愉しみ方もけっして悪くないと思っているが、自分自身は好きなタイトルについてはできる限りクラシックゲーミング的な愉しみ方をしたいと思っている。

以上、他の人がどのような呼び方をしているかとか、して欲しいかという話ではなく、自分が「レトロゲーミング」「クラシックゲーミング」という言葉を使っているときに、どういう背景からその言葉を選んでいるかの説明をしているだけなので、そこは勘違いして欲しくなく。

2020年1月の上記Tweetなんかはけっこう具体的に使い分けを書いているつもりで、理解度が高い人には十分に通じている……と思いたい。


この文章も上記最後の部分を除いて3年近くWordPressの下書きフォルダに入っていたものだったりする。そしてこの2年くらいは諦め入ってレトロゲーミング的なことも増えてきているのは、Twitterでも書いているとおり。

まとめて買ったアケアカタイトル、けっきょく1つもクラシックゲーミングは出来ていないが、その後もサブスクのようにアケアカタイトル買っては表面だけぺろりなめて終わりな遊び方をしているレトロゲーミングしぐさ。なんかこう、いろんなことへのこだわりがなくなっていくような感覚があるのだが、それがいいことなのか、悪いことなのかは自分ではもうわからないので、ただここにメモだけ残しておく。

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