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1980年代当時のゲームヒエラルキーと自分への影響

’80年代当時、ファミっ子より上の年代というか、アーケードやマイコンでのゲームをファミコンより先に体験していた人達はゲームをこんな感じのヒエラルキーで捉えていた人が多い印象がある。

(高)
↑ アーケード:至高
│ マイコン:アーケード向きじゃないジャンル(※)では強い
↓ 家庭用ゲーム機:どちらかの代用品
(低)
※ RPG/ADV/SLG等

これはハード性能の差からくる表現力の差が当時はとても大きかったからである。レトロゲーム関係の文章を読む際、背景としてこれを知らないと理解できないことって結構あると思う。開発者インタビューやゲーマーの発言の端々に出ているからだ。


例えば、アーケードじゃなくてマイコンの方だがゲームクリエイターの志倉千代丸さんがサラダの国のトマト姫を語っている時に記者に「ファミコンでやりました」と言われたのに対し「ファミコン版なんて『サラトマ』じゃないから」と返していたのもそういう意識の表れだと思ってる。

ただこれは、本格的なゲーム体験がファミコンからの子だと本当の意味での理解は難しいかもしれない。たいていファミコンへの身びいきが入るし、多くの人の想像力は世代間の差を埋められるほど豊かなものではないからだ。「ファミコン世代」より後の世代ならなおさらだろう。そして、逆に自分や自分より上の世代の人達はアケやマイコンへの身びいきがあると考えなくてはいけないだろう。以下の文はそういう思い込みと偏見に満ちたものであることは頭の隅に置いておいて欲しい。

自分の場合、ファミコンはゼビウスのために買ったクチだが、他にアーケード移植はカセットではほとんど買わなかった。ファミコン版グラディウスも借りて面白く感じてはいたが、4,500円(※)以上出すならアケで90回遊んだ方がいいと思い回避したのは、「”モノ”より”優れたユーザー体験”」なんて志向よりも上記ヒエラルキーによるものの方が大きかった気がする。
※ 定価は4,900円だが地元ではだいたいその程度だった

結局自分にとってのファミコンは主にファミスタやファミリーテニス、ディスクのバレーボールなどで友人と遊ぶ道具になっていたのだが、これらはアーケード・マイコンどちらの代用品でもなく、家庭用ゲーム機の強みが出ているゲームだという認識があったからこそ貴重な小遣いを突っ込めた側面がある。逆に言うと、家庭用ではそういう強みのないゲームソフトに対して5,000円近いお金を出す気はしなかったということである。

ただ、80年代も後半になっていくと対戦ゲーム以外のジャンルも家庭用独自の発展をしていき、自分の中では徐々に上記ヒエラルキーが崩れていく感覚があった。アーケードに不向きなジャンルであるRPGについては当初はPC上位で見ていたが、80年代も後半になるとファイナルファンタジーシリーズや女神転生シリーズ、ファンタシースターなどそれまでのPCゲームとは異なる魅力を持つゲームが生まれ、時代が変わっていくのを感じていた。テープメディアが廃れてからはマイコンからは離れ、家でのゲームは家庭用に専念したのは、家庭用ゲームに才能が集まってきているのを感じていたのが大きい。ゲームのために何十万もするPCを新調してもらうというスネかじりをする気もなかったし、バイトをするにも高すぎたのもある。結果として、社会人になりWindows搭載PCを買うまでPCのない生活を送っていた。

90年代に入ってからは家庭用ゲーム機の進歩が激しくなり、またPCゲームの世界も独自の進化をし、アーケードは対戦格闘中心になった影響で他のジャンルが徐々に出なくなっていき、80年代的ゲームヒエラルキーは過去のものになっていった感がある。自分の場合、アクションゲームについて家庭用がアーケードに追いついていると初めて感じたのがメガドライブの「ガンスターヒーローズ」で、その当時すでにゲーセンでは対戦格闘とベルトスクロールアクション以外のアクションに未来はないと感じざるを得ない状況だったのもあり、「これからは(格闘ものを除く)アクションも家庭用をメインストリームに考えないと」と自分の中での転換点になったのを覚えている。そして、それまで以上にメガドライブにのめり込んでいくことになった。実際にはもっと前から逆転していたと思うが、それまで自分はアーケード志向が強かったので見逃していたと思うがまぁしょうがないとしか思っていない。

その後サターン/プレステ時代になるとセガMODELシリーズなどの一部高性能基板を除き、「ハードの性能差からくる表現力の差」もほぼなくなった上、対戦格闘ゲームのブームからくる回転率の速さを求められたアーケードゲームの作りに対して不満を持つユーザーの声がちらほら聞こえるようになった。アーケードから家庭用への移植の際は、アーケードそのままではなく、追加要素がないと文句を言われがちになっていったのもそれを表していると思う。80年代的価値観だと、アーケード版の要素ができるだけ忠実に再現されていればそれで十分だったはずなのだ。当時、雑誌やWeb掲示板でそのような発言を見る度に、アーケードゲームへの訴求力が落ちているのを感じていたものである。

PCはPCで高性能なビデオカードの普及によりFPSやフライトシミュレーターがどんどん進歩していき、またインターネットの普及により今までに無いネットワークゲームが生まれ、アーケードゲームとは競合しない分野での強みを発揮していった。この時点においてアーケードを頂点とする80年代的ゲームヒエラルキーは完全に崩壊していたと思う。

そしていま現在、面白いゲームが遊べればそれがアーケードだろうと家庭用ゲーム機だろうとPCだろうとスマホだろうとなんでもいいはずなのだが、アーケードゲームにがんばって欲しいと思うおじさんたちがそれなりに多いのは、この古い価値観に未だにどこかで囚われているからなのかもしれないということで締めさせてもらう。

最後に余談だが、90年代のストII対戦の頃、ゲーセンで仲良くなった年上の人に家庭用で練習していることを話したら「ファミコンなんかで練習できるんだ(俺はする気はしないが)」と、その時点でもはっきり家ゲーを下に見ている発言をしていて、やっぱり年上の人だとそういう感覚が強いんだなぁと思った記憶がある。そして自分はそれに対し否定的な感情は全くなく、むしろアーケードゲーム愛を感じてグッときたのを覚えている。この感覚を共感できる人がどのくらいまだいるのかわからないが、当時そんな風に感じていたってことで。

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