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ドルアーガの塔の楽しさの両輪

アーケード版ドルアーガの塔の楽しさは「謎解き」と「アクション」が両輪となっていると思う。だが、Webを眺めていると「謎解き要素抜きでアクションゲームとして遊んでも面白い」という感じのことを言う人もそれなりに見かける。昔から自分も「ドルアーガは純粋にアクションとして面白い」と言っていたが、これはあくまでゲーセンで謎解きをしていた人達の熱さが土壌にあっての話だったりする。あくまで「自分の場合は」だが。


アーケード版が出た頃は子供すぎて、結果として自力で宝を探し出すことは1つもできなかったのだが、田舎のゲーセンで兄を含む高校生たちが一所懸命試行錯誤していたのを見ていたし、情報も共有していた(※)。兄のグループじゃない人のプレイも眺めて出し方が曖昧な面の解法を暴こうともしていたクソガキでもあったZzz…。そういう体験が自分の場合ドルアーガの塔というゲームを楽しむ際のなんというか根っこ的なものになっているから「純粋にアクションゲームとしても面白い」と言っても、「それだけじゃない魅力」を取り除くことが出来ないのである。

※ 中には県内第二の都市に遠征して情報を仕入れようとした人もいた

ちなみに地元ではベーマガで宝箱の出し方が載るまで(正確にはALL ABOUT namcoかも。記憶が混沌)は53面や58面は宝の出し方が曖昧で難しい面だった。今では両方激ヌル面でしかないが、当初は中央あたりをうろうろしていると出るくらいしかわかっていなかった。銅や銀のマトックが宝箱取ることで使用回数がリセットされることも知らなかったし、シルバーマトックは宝箱を取った後だと2回使っても壊れないことも知らなかったから序盤面の難易度も解明後より高かった。攻略法が雑誌に載る前にクリアしていた人はいきつけのゲーセンでは数人しかいないほど難しかった。

なお、当時の自分は25面を除いて解明されていない後半面までそもそも進めなかった。13面と19面が特に苦手だった。アーケード版をノーコンティニューでクリアできるようになったのはファミコン版で練習した後なので、リリース1年後以降ということになる。

ファミコン版の裏ドルアーガはアーケードで謎解きの楽しみが不完全燃焼だったのもあってがんばった。数個を除き自力で見つけたがアーケード版と比べると難しすぎる条件が多く、事実上コンティニュー前提になっているのが不満だった。たまたま宝箱が出たけど条件を確定できない面もあったし、呪文を受けないとかゴーストと交わらないとかは特にだが、アーケード版と比べてもやり過ぎな感じを受けていた。当時「これって遠藤さんが考えたわけじゃないでしょ」という思いをもっていたのも思い出す。そして、その「数個」が自力でみつけられなかったのが残念だった。該当面について運動会の最中に後輩から教えてもらった記憶がなぜか残っているのだが、彼は攻略本を見たと言っていたので、けっきょく攻略本頼みになったのと変わらないからだ。

そういう意味だとPCエンジン版は完全に自力(※)でクリアできたので満足度が高かったりする。あれは遠藤さんが手がけているのがはっきりしているので納得度も高い。遠藤さんも『これがぼくの理想に最も近い』と言っているくらいだし、もしドルアーガの塔の「謎解き」の部分を味わいたいのなら、PCエンジン版を遊ぶことを個人的には薦めていたりする。もし、これも攻略情報を見てしまった人は両輪の片方を味わうチャンスを放棄したことになると思うけど、それもまた楽しみ方の一つということで。

※ と言っても各面ごとにヒントがもらえるのだが

プレイステーション版にも裏ドルアーガがあるようだが未プレイなのでここでは触れないこととする。そっち方面は詳しくないが、遠藤さんは関わっていないようだし。

なんにしても、100人いたら、100種類のドルアーガの塔の解釈に100種類の楽しみ方があっていいとも思っている。ビデオゲームは開発者がどう意図していたとしても、いったんリリースされたものはユーザーが好き勝手に解釈して楽しんでいいものなのだ。この文章は田舎のゲーセンで補導に怯えながらも超個性的なアーケードゲームの魅力に取りつかれていたおこちゃまはこんなことを考えていたってだけのものでしかないのだ。

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