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ゲーム雑感(家ゲー(セガハード))

セガサターン発売前後のゲームショップでのアルバイト風景

ヤングアニマル嵐 2016年No.4のいちきゅーきゅーぺけがサターン発売日の風景らしいので、その前後の時期の自分のゲームショップでのアルバイト経験を書いてみる。というか、某コミュ用に1年以上前に書いたけどお蔵入りさせていた文書だったりする。

いきなり余談だが、地方だとメガドライブのソフトはひとたび売り切れると中古でも二度と回ってこないことが多かったので、買い取ったもので欲しいものは自分で買うために店長公認でキープしていた。新品のMDソフトもどんどん買ってたのもあり、バイト代は現物支給に近かったZzz…。


 

当時のバイト先は元電器屋のゲームショップだった。お店は新品も中古も扱っていて、デモプレイ用のディスプレイは4台あるうちスーパーファミコンに2台、メガドライブに1台、PCエンジンに1台割り当てられていた。MDのデモ機には中古で入ったアラジンやエコー・ザ・ドルフィン、ガンスターヒーローズなどの見栄えのするものをなるべく選ぶようにしていた。

MDソフトはSFCソフトに比べれば売買が少なかったとは言え、店が某総合大学の近くにあったのもあって学生からの売買がけっこうあった。他機種に比べて圧倒的に男性比率が高かったのが印象に残っている。

当時各機種いろんな人気ソフトがあったが、ぷよぷよのブームとぶつかっており、SFCの「す~ぱ~ぷよぷよ」は本当にロングセラーとなっていて発売数ヶ月後でも新品が入ればすぐに売れ、中古も入ってはすぐ売れるお化けソフトだった。そして中古のMD本体+ぷよぷよを買う方がSFCのす~ぱ~ぷよぷよをソフトだけで買うより安いし、MD版ぷよぷよ通が発売されてからだと、ゲームシステムの進歩を考えるとMD本体+ぷよ通の方がいいのにと個人的には思っていた。

だが、実際には「す~ぱ~」の方が圧倒的に売買され続けて、そんなものなんだなぁ……と思ったのをよく覚えている。個人的にメガドライブは大好きだったが、「メガドライブ」というブランドで勝負し続けていくのは無理なんじゃないかと思わざるを得なかった。特に、サターンが発表されてからのMDソフトは、目に見えて買い取りが多くなり、売りは少なくなっていったのだ。自分で買う分は当然予約していたが、いやが上にも終わりは意識させられた。この時期に出たMDソフトは初期のMDソフトとは比べものにならないレベルの完成度のものが多く、「もう1年続いたら」と思わなくもなかったが、「ボランティアじゃないんだからしょうがない」という気持ちも持っていたのを思い出す。

そんな中で、1994年9月末に発売された「幽遊白書 魔強統一戦」はちびっ子たちが目を輝かせて「ありませんか」と聞いてくるソフトだった。でも、縮小されたMD市場での入荷は限られており、いつも売り切れでもったいなく感じていた……。そして、「(SFCソフトばかり買っていた)きみたちメガドラ本体持ってたんかいッ!」と心の中で思ってたのも思い出すZzz…。

あと、1994年のクリスマスシーズンに出た「LUNAR エターナルブルー」は予約数入荷してくれなくて、お店の仕入に落胆したものだった……。そしてこれも小学生から社会人まで在庫問合せを一番受けたメガCDソフトだった。仲間内で当時言っていた冗談「メガドライブの花言葉は”売り切れ”」そのものであることに歯がゆさを感じていた。

当時はゲームソフトの定価の相場が今よりも高かったのもあり、MDもSFCもソフトを新品で買う人は少数派で、ショップを介して中古ソフトがぐるぐる多数の人の手を渡るのが普通の状況だった。また、新品を買う場合も発売日からちょっと経って値下がるのを待つというスタイルの人も多かった。でも中古がぐるぐる回ってもメーカーには利益がいかないし、新品の値下げは小売店や仲買に負担させているに過ぎないしで構造に大きな疑問を感じていたのだ。なのでサターンやプレイステーションでソフトの定価が下がり、健全な方向に進むのではないかという期待感を持っていた。その後どう進んだのかはご存じの通りってことでここでは割愛する。

そして、1994年11月22日、セガサターンの発売日である。発売前からの予約で好調ぶりは知っていたが、実際に目の前で4万以上するセガの最新ハードがどんどん売れるのは、それまでのメガドライブのことを考えると感動的ですらあった。この日のことは今でもよく覚えている。

そしてサターンが出て数ヶ月後にはバイトをやめたので回想もここで終わりにする。サターン発売後に出たエイリアン ソルジャーなどのソフトについても色々あるのだが、それはまた別の機会に。

まとまりのない文章だが、当時メガドライブに絡んでこんなことを思っていたってことで。

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