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ゲーム四方山話

1980年代アーケードゲーム復刻のタイムリミット (長文)

自分は4年ちょっと前に「80年代アーケードゲームの復刻が”ほぼ完全”といえるレベルで出来るリミットはあと10年だと思う。当時のゲーム制作技術に精通した技術者の確保、基板の寿命、資料の消失、正確性を担保できる人間、あと需要もろもろを考えるとそんな長くない」って友人と話していたりする。つまり、ゲーマーにとって魅力ある商品としてのライフサイクルは限界が近づいていると予測していたということである。

上記した要因は、それぞれが重いものではあるが、ここ数年だと自分が一番深刻に感じているのが需要の低下である。80年代アーケードゲームに強い思い入れがあり、それを遊ぶためならハードごと買うことも厭わないというレベルの人は大きく減っているように見えるし、実際第七世代(Xbox360/プレステ3/Wii)の家庭用ハードへのアーケード移植は数多くされたわりに販売的には振るわなかったようだ。

これは、1本1000円以下とか、コンピレーションにして1本あたり数百円にしないと「いまさらこのゲームにその値段は払えない」と評価されているのがすでに「需要が低くなっている」ということなのである。そして、一本当たり数百円まで落ちていても、セール待ちされたり、手持ちハードに出ていないと買うことを放棄されたりしているのだから、ごく一部の熱狂的なマニア以外にはすでに需要はほぼないと言えるのかもしれない。強い思い入れのあるゲーム1つのために基板一式買ってしまうような病的なマニアからすると、80年代アーケードゲームのユーザーの評価の低下は寂しい限りではあるが、仕方がないとしか言いようがない。

また、Webを見ていると再現度について細かい部分までこだわる人が目に見えて減っているのも需要の低下を感じさせる。最近だとむしろ逆に「警察」などと言い、細かなこだわりをもつ人に対して揶揄するような発言をする人が増えたのもそれを助長していているように見える。

もちろん、再現性が低くても遊べればいいというのもゲーマーとして立派な方針だと思うが、個人で満足できるかどうかのレベルの話ではなく、自分が強く気に入った作品が低い再現性のせいで多くの人に間違った解釈をされるのを嫌がるとか、そういう話なのだ。そして、そういう視点を持った熱い人は本当に減ったように感じる。8bit機、16bit機の時代での80年代アーケード移植と異なり、現代のハードではハード性能差から、80年代アーケードゲームはほぼ完全に復刻できて当たり前と思う人が多く、例え再現度が低くても「元からそういうもの」と名作を不当に低く評価されてしまいがちなのだ。そして、再現度が低いものでも一度復刻されたゲームは次から訴求力が落ちる面があり、最初に書いた「基板の寿命」が近づいた現在は最後のチャンスであろう状態なのに関わらず「xxxは(再現度が実は低い)yyy版で遊んだからもういい」などと言われてしまうのもよく見る光景なのだ。家庭用ゲーム機やWindows PC用に出来のいいものが出れば、20年、30年以上はそのゲームが正しく解釈されることが期待されるのに対し、逆は20年、30年不正確に解釈される、そのことに対して何も思わない人は、そのゲームに対して思い入れがあると言えるのだろうか。

けっきょくはそういうのが80年代アーケードゲームの復刻に無関心ということなのだろうし、そういう無関心さが蔓延すると制作サイドも適当でいいと判断することに繋がり、最初に書いた「”ほぼ完全”といえるレベルで出来る」ことはなくなっていくのである。実際、70年代アーケードゲームはすでにそんな感じである。(ほぼ)誰からも望まれず、誰も完全な復刻版を作ろうとせず、販売されるときは適当な出来で十把一絡げに扱われる、そういう未来が多くの80年代アーケードゲームにも近づいているのかもしれない。けっきょく当時ゲーセンで遊んだ層が求める「ガチで遊ぶための”ゲーム”」を作るために必要なコストと、「絵や音楽や雰囲気を軽く楽しめればいい」層が求めるものを作るためのコストに大きな差があった上で後者の志向の人の方が多ければ、企業側が後者を選ばない理由はないのだ。

自分が「80年代アーケードゲームの復刻が”ほぼ完全”といえるレベルで出来るリミットはあと10年だと思う」と発言したあとに始まったアーケードアーカイブスシリーズは、まさにぎりぎりのタイミングでスタートしてくれたと思ったものである。プレイステーション4の本体発売数が順調に伸びているのにも関わらず、グラディウス、ダライアスのようなビッグネーム以外はWeb上では個別タイトルの発売日直後くらいしか話題にほとんどならないあたりに、やはりライフサイクルの限界の近さを感じるのだが、そういう中でも一本一本丁寧に復刻してくれる、このシリーズにはがんばって欲しいと思っている。少なくとも現在の手法で復刻が行われる限りは80年代アーケードゲームについてアケアカ以降にアケアカを超える再現度でオフィシャルに出ることなんてないだろうし、ちょっとマイナーなものまで出してくれるのはこの機会を逃したら無いとさえ思っている。買い控えたりせずに、どんどん買うといいだろう。

一点だけ心配なのは、(発足時での予測も含めて)普及度の意味でプレイステーション4を選んだのは理解できるのだが、プレステ4がプラットフォームとして終わるときに、どうするのかというのがある。そういう意味で、SteamなりWindows Storeなりで出していてくれた方がありがたかった。そして、プレステ4終了時に何らかのプラットフォームで1から出し直しになると停滞してしまうのがもったいなく思う。実際Wii VCAはWii Uに代替わりして終わってしまった先例がある。まぁここはこちらが心配してもしょうがないので、今を楽しむしかない。

ちなみに80年代より後の90年代アーケード移植はまだまだこれからと言えるだろう。実際職人集団「ゴッチテクノロジー」が手掛けた無印の「アーケードアーカイブス」より、他社が開発している「アケアカNEOGEO」の方がWeb上ではよく話題になっているように見える。これは、いわゆるファミコン世代やその後の世代の人たちがゲーセンやゲームコーナーでアーケードゲームを本格的に遊んだのはそこからの人が多いから当然なのだ。

そして90年代復刻が強くなると、相対的に80年代復刻の立場が弱くなるのがわかっているだけに、どうしても複雑な思いをもってしまうのがある。数年前くらいだと同じ復刻ものでも「(70年代後期から80年代前期の)ギャラクシアンやギャラガに同じ値段を払いたくない(=安くしろ=需要が低い)」という意見を見ていたのが、ここ1・2年だと80年代中期の1942やエグゼドエグゼスなどでも同種の意見を見かけるようになった。復刻の手間に大差がないのなら、付加価値の高い方を選ぶのが企業の論理であろう。もう一度書くが、復刻版で商売ができるという意味でのライフサイクルが尽きかけている80年代アーケードゲームは多いのである。最後のチャンスを逃さないようにしたい。

余談だが、「移植・復刻版の出来が気に入らないのなら基板を買え」というのは昔から言われ続けてきたことではあるけど、これって名作を安価に多くの人に遊んでみて欲しいって気持ちの欠如を感じて賛同できなかったりする。だが、近道なのも事実で自分も20年以上前にそっちに踏み込んでいたりする。だが、基板の故障が重なるたびにいつまで遊べるのかと感じてもいるのだ。修理してくれる店もいつまであるかもわからない。できるだけ出来のいい復刻版が出てくれると助かる。

なお、上記ではMAMEなどのPCエミュレーターでの80年代アーケード復刻はないものとして扱っている。これは正規のROMイメージを正しい手段で手に入れるのはほとんどのアーケードゲームで困難であるからだ。権利者がROMイメージを販売するようなことがあれば、また事情は変わるのかもしれない。

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