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ゲーム四方山話

有名店のカップ麺とファミコンに移植されたアーケードゲームの類似性

人気のある商品が元としてあり、それを限られたフォーマットに落とし込むという意味で有名店のカップ麺とファミコンに移植されたアーケードゲームは似ていると思う。

数多くのアーケードゲームがファミコンに移植されたが、移植版の評価は人によってさまざまである。ただ、自分の場合、アーケード版を先にやり込んでいたゲームについてはファミコンのハード性能の低さからくる再現度の低さにがっかりするものがほとんどだった。アーケード版のハード性能が高くなかったが故にあまり見劣りもしなかったギャラクシアンや、当時のマイコン移植版に比べると遙かに出来が良かったゼビウスなどは例外だったが、1942やエグゼド エグゼスのようにアーケード版の良さが出ていないものが多かった印象が強い。

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ゲーム雑感(アーケード) ゲーム雑感(家ゲー(セガハード)) ゲーム雑感(家ゲー(非セガハード))

1980年代当時のゲームヒエラルキーと自分への影響

’80年代当時、ファミっ子より上の年代というか、アーケードやマイコンでのゲームをファミコンより先に体験していた人達はゲームをこんな感じのヒエラルキーで捉えていた人が多い印象がある。

(高)
↑ アーケード:至高
│ マイコン:アーケード向きじゃないジャンル(※)では強い
↓ 家庭用ゲーム機:どちらかの代用品
(低)
※ RPG/ADV/SLG等

これはハード性能の差からくる表現力の差が当時はとても大きかったからである。レトロゲーム関係の文章を読む際、背景としてこれを知らないと理解できないことって結構あると思う。開発者インタビューやゲーマーの発言の端々に出ているからだ。


例えば、アーケードじゃなくてマイコンの方だがゲームクリエイターの志倉千代丸さんがサラダの国のトマト姫を語っている時に記者に「ファミコンでやりました」と言われたのに対し「ファミコン版なんて『サラトマ』じゃないから」と返していたのもそういう意識の表れだと思ってる。

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ゲーム雑感(アーケード) ゲーム雑感・思い出話

ドルアーガの塔の楽しさの両輪

アーケード版ドルアーガの塔の楽しさは「謎解き」と「アクション」が両輪となっていると思う。だが、Webを眺めていると「謎解き要素抜きでアクションゲームとして遊んでも面白い」という感じのことを言う人もそれなりに見かける。昔から自分も「ドルアーガは純粋にアクションとして面白い」と言っていたが、これはあくまでゲーセンで謎解きをしていた人達の熱さが土壌にあっての話だったりする。あくまで「自分の場合は」だが。


アーケード版が出た頃は子供すぎて、結果として自力で宝を探し出すことは1つもできなかったのだが、田舎のゲーセンで兄を含む高校生たちが一所懸命試行錯誤していたのを見ていたし、情報も共有していた(※)。兄のグループじゃない人のプレイも眺めて出し方が曖昧な面の解法を暴こうともしていたクソガキでもあったZzz…。そういう体験が自分の場合ドルアーガの塔というゲームを楽しむ際のなんというか根っこ的なものになっているから「純粋にアクションゲームとしても面白い」と言っても、「それだけじゃない魅力」を取り除くことが出来ないのである。