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ゲーム四方山話

有名店のカップ麺とファミコンに移植されたアーケードゲームの類似性

人気のある商品が元としてあり、それを限られたフォーマットに落とし込むという意味で有名店のカップ麺とファミコンに移植されたアーケードゲームは似ていると思う。

数多くのアーケードゲームがファミコンに移植されたが、移植版の評価は人によってさまざまである。ただ、自分の場合、アーケード版を先にやり込んでいたゲームについてはファミコンのハード性能の低さからくる再現度の低さにがっかりするものがほとんどだった。アーケード版のハード性能が高くなかったが故にあまり見劣りもしなかったギャラクシアンや、当時のマイコン移植版に比べると遙かに出来が良かったゼビウスなどは例外だったが、1942やエグゼド エグゼスのようにアーケード版の良さが出ていないものが多かった印象が強い。

もちろん、制作者がハード性能の低いファミコンなりにゲームを表現しようとして工夫しているのは当時も理解できたし、買ったゲームを「そういうもの」として純粋に楽しめた方が得だということも分かっていた。だが、カップラーメンとお店のラーメンくらいに違うものを同列で評価するなんてことは自分には出来なかったし、同年代の友人が私と同じように扱っていたのも当然だとしか思っていなかった。いくらカップラーメンとして美味しくても、しょせんはカップラーメンでしかなく、お店のラーメンと本気で比較できるものではないのと同じだと自分は思うのだが、ファミコン移植版を楽しめないとまるで狭量であるかのようなことを言う人がいて嫌な思いをしたことも過去何度もあったりする。また、元を考えずに一つのゲームとして評価すべきという人もいるのだが、有名店のカップラーメンが元の店の人気にあやかっている商品なのと同じで、アーケード移植で元を考えないというのは少なくともお店の味を先に経験している人には無理があると思う。

もっとも自分自身もディグダグIIのようにアーケードでは楽しめなかったのに、ファミコン(DISK)では凄く楽しめたタイトルもあるし、MD/SFC世代、サターン/プレステ世代と家庭用ゲーム機の性能が上がるにつれて差が埋まっていくのも感じていた。だが、アーケードゲーマーが本物のお店の味について語っているときに、無邪気にカップラーメンの話で混ざってくるファミっ子の図というのをWebで見かける度に、そこに壁を感じていたのであった。

ただし、サターンが出た後だが、後輩と話していたらファミコンからの子はアーケードと家庭用との差について、ファミコン時代は余り差がないと思っているのを聞いて、驚いた経験もある(※)。つまり、そもそもの感覚差が大きいのかもしれない。自分としてはAC版グラディウスのオプション4つぶらさげて長くデカい当たり判定のレーザーをぶんまわす楽しみがないFC版に対して大差が無いとは思えないし、AC版ドルアーガの塔の荘厳な音色とFC版のピコピコ音とでは大差があると思うのだが、彼が彼の中でそう思うことを覆すことは出来ないのだ。こういう話をするとFC版はFC版で面白いというピントのずれたリプライが付きがちだが、そういう話ではないので念のため。

※ 全員がそうだとは言わない

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